最後のテーラーで、日本語が聞こえた(5/5)
ロンドンのテーラーを訪ねた話、全5回の最終回です。
最後に伺ったのは、Gieves & Hawkes。サヴィル・ロウ1番地、この通りの起点にあたる店です。

ほとんど博物館だった
店内に入って奥に通されると、まず言葉が出ませんでした。
ガラスケースの中に、真っ赤な軍服がずらりと並んでいます。 金の飾りがついた、式典で着るような一着一着。壁には王室からの証書。古い書状。歴史の写真が一面に飾られている。
服屋というより、博物館でした。
この店は、長いあいだ軍と王室の仕立てを担ってきました。だからこういうものが残っている。

ただただ、歴史を感じました。雰囲気がありました。
言葉にすると平凡ですが、そのときはそれ以上の言い方が見つかりませんでした。

軍服は、立っているところを見られる服
軍服を眺めていて、ひとつ気づいたことがあります。
軍服は、立っているところを見られるための服です。
行進する。整列する。敬礼する。式典で並ぶ。座っている時間は、ほとんどありません。
だから背中と肩の作りが命になります。座り心地は、正直なところ二の次です。実際、展示されている軍服はどれも、背中の線がきれいに通っていました。

これは日本に帰ってから気づいたことです。
結婚式の新郎も、実は同じです。
考えてみると、新郎は一日のほとんどを立って過ごします。座っているのは、食事の短い時間くらいです。
そして、参列者から見えているのは、正面よりも横と後ろです。
入場するとき、ゲストは後ろから見ています。指輪の交換も、誓いのキスも、祭壇に向かっているので背中側です。乾杯も、お見送りも、写真を撮る人はたいてい斜め後ろにいます。
正面から見られている時間は、思っているよりずっと短いんです。
それなのに、試着室では鏡の正面ばかり見てしまいます。当然です。目の前に鏡があるんですから。
合わせ鏡をお願いして、後ろ姿を見てください。
肩の線がまっすぐ通っているか。背中に妙なシワが寄っていないか。そこが決まっていれば、当日どの角度から撮られても、きれいに写ります。

このお店に、日本人の職人さんがいらっしゃいました。

コートメーカーの稲倉さんです。
その日はじめて、通訳を挟まずに話ができました。
朝からずっと、言葉の分からないまま歩いてきました。松山さんに訳してもらうか、知っている単語と身振りでやり取りするか。ほとんどの会話は、その場では理解できていませんでした。
それでも、自分の目で見て、手で触って、感覚で分かったことはありました。生地の量の迫力。縫い目の細かさ。台帳の重み。店ごとの空気の違い。言葉が分からないぶん、そこだけを頼りに見ていたからかもしれません。
その一日の最後に、日本語でそれを確かめられたのは、大きかったです。
ひとりで作るか、みんなで作るか
稲倉さんに聞いて、いちばん腑に落ちたのは、日本とロンドンの作り方の違いでした。
日本のテーラーは、基本的に一貫制です。 ひとりの職人が、採寸から裁断、縫製まで、最初から最後まで面倒を見る。ひとりの中で完結します。
ロンドンは分業制です。 上着を作る人、ズボンを作る人、型紙を引く人。それぞれが別の専門職として分かれている。稲倉さんの「コートメーカー」という肩書きも、上着を作る専門職という分け方があるからこその呼び名です。
それを聞いて、その日一日見てきたものが、急につながりました。
1軒目で職人さんたちが休みに入っていたのも、それぞれが独立した専門職として働いているからでした。ヘンリー・プールで縫い目を見せてくれたあの方も、その工程だけを何十年もやってきた人だったのだと思います。
そして、あの顧客台帳の意味も、ようやく分かりました。
何人もの手を渡って一着ができあがるなら、その人の体のことを、誰が見ても分かる形で残しておかないといけません。担当が変わっても、同じ服が作れるように。
あの棚は、分業でものを作るための仕組みだったんです。
どちらが優れている、という話ではありません。ただ、ひとりで背負うやり方と、みんなで分けるやり方があると知れたことが、この旅でいちばんの収穫でした。
この4軒で分かったこと
5回にわたって書いてきたことを、最後にまとめます。
Anderson & Sheppard ― 動ける服であること
かっこよく見える服と、一日着ていられる服は別のものです。試着では腕を上げてみてください。
Henry Poole ― 10年後に残ること
衣装は写真になって残ります。選ぶ基準は「10年後に見て、気恥ずかしくないか」。
JP Hackett ― 本音が言える相手であること
気後れして違和感を飲み込んだまま決めるのが、一番もったいない。
Gieves & Hawkes ― 後ろ姿が決まっていること
新郎はほとんど立っています。そして見られているのは、正面より背中側です。
この4つが、そのまま「新郎の衣装選びで見るべき4点」になりました。
おわりに
帰ってきて、衣装のご説明の仕方が劇的に変わったかというと、そんなことはありません。話している内容は、たぶん前とほとんど同じです。
ただ、自信を持って言えるようになりました。
見てきたからです。それだけのことですが、それだけのことが、案外大きいのだと思います。
英語も話せないまま連れて行ってもらって、緊張して、ほとんど何も分からないまま一日が終わった。それでも、目と手だけで分かったことは確かにありました。
これから衣装を選ばれるおふたりも、たぶん同じです。専門的なことは分からなくていい。着てみて、腕を上げて、後ろ姿を見て、「なんかいいな」と思えるかどうか。 それが一番確かな基準です。
長い話にお付き合いいただき、ありがとうございました。
今回の視察は、新郎衣装をお願いしている提携先 BELGRAVIA&SONS の松山竜太さんに、すべて手配いただきました。ありがとうございました。
ロンドンの話は、ここまでです。
私がふだん何をしている人間なのかは、こちらに書いています。
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